現代版北前船の伝道師

チェンバリスト明楽みゆき氏

SaKiORi対談

 

明楽(あけら)みゆきさんは、京都のご出身、札幌在住のチェンバリストです。

「さきおり」を北海道にもたらした「北前船」の船主が明楽さんのご先祖にあたります。

「現代版北前船」を伝えるべく、全国を飛び回っていらっしゃいます。

ご多用の中、念願かなって「SaKiORi対談」が実現しました。

 

 

語り手:明楽みゆき氏(音楽家・チェンバロ奏者)

聞き手:髙橋とみえ(元そらるなSaKiORiデザイナー)

写真撮影:Maria Luiza Akiko Kondo

 

ーチェンバロとの出会いー

髙橋:チェンバロとの出会いはいつごろなんですか?

明楽:ピアノもやっていたんですけれど、小さいころからバッハが好きで、もっと勉強したいと思って音楽大学に入ったんです。音楽大学に入ってからさらにバッハを勉強していくと、実はバッハの時代にはピアノがなくて、バッハが作曲したオリジナルの楽器というのはチェンバロだったんです。

髙橋:バッハのメヌエットやフーガはチェンバロで作曲したということですね?

明楽:そうです、そうです。チェンバロかパイプオルガンですね。それならば、オリジナルの楽器で勉強したいなということで、大学時代からチェンバロにのめり込んだんです。

髙橋:正直チェンバロというと、名前は知っていてもあまり馴染みのない楽器だと思うのですが。

明楽:楽器そのものが少ないので、知っていらっしゃる方もすごく少ないと思います。

髙橋:こういう音楽というのは知っていても、私も現物はまだ見たことがないんです。

明楽:ピアノのお母さんなんですけれども、元々は5000年前の竪琴なのでね。肩にかけてポロンポロンとやっていたのが、チェンバロの母なんです。竪琴をバターンと倒して鍵盤をつけたものがチェンバロの発端で、それがモナリザの時代です。ルネッサンスですね。

髙橋:リュートなんかと同じ頃ですか?

明楽:リュートはチェンバロのちょっと前の時代です。重なってはいるんですが、シェイクスピアの時代にちょうどリュートが流行っていて、その後にリュートからチェンバロにだんだん移行してきた感じです。チェンバロが出来た頃にも、リュートの音を懐かしんでと言いますか、チェンバロの中にはリュートの音も入っているんです。


髙橋:ギターの仲間と書いてあるのを読んだことがあるんですが。

明楽:聴いていらっしゃるかたによると、ギターにも似ているしリュートにも似ているし。シェイクスピアの朗読の一人芝居の時に音楽をつけることがよくあるんですが、その時に(チェンバロの)リュートストップの音色をつけると、石のお城に立っているようなイメージをもっていただける。いきなりそういう世界に入るというか。

髙橋:中世の物語になるんですね。素敵ですね。

明楽:自分で調律して、古典調律で一番いい響きっていうんですか?立ち上がるように自分の音作りをしていきます。

髙橋:毎回持ち歩かれていますよね。

明楽:そうなんです。

髙橋:そのたびに持ち歩いて、組み立てて、調律しなくてはいけないんですね。

明楽:そうなんです。組み立てて、調律して、爪なんかも0.33mmの薄い爪で、真鍮の弦を下からはじいて…。

髙橋:ハンマーではなくてはじくんですね。

明楽:そうそう。元々は竪琴のようにはじいていたのがそのまま横倒しになって鍵盤のついたものなんです。中の仕組みはまったく一緒なんです。だから撥弦(はつげん)楽器、はじく楽器といいます。はじいて音を出すっていうのは心の声を音に変えていく。元々竪琴というのは、吟遊詩人のものですよね?吟遊詩人が楽譜もないのに、自分の心の奥の方の声を全部音に変えて奏でていたんですよね。そういう精神というか思いというかがそのままチェンバロに入っているというか。

髙橋:即興パフォーマンスということですね。

明楽:そうですそうです。チェンバロには左手の楽譜しかないんです。左手の楽譜には数字しか書いてありません。なのでバイオリンの方と演奏するときも、左手の楽譜に合わせた右を即興で作るというのがチェンバロなんです。

髙橋:ジャズのピアニストのような、ジャズのクラシック版といった感じですね。

明楽:その通りなんです。とてもジャズと似てるんです。

髙橋:初めて知りました。


明楽:左手も右手もビシッと楽譜に書いて、楽譜通りに弾くっていうのはピアノの時代からなんです。

髙橋:そうなんですか!

明楽:結局、弾き手の能力が落ちたから全部書いてあげなきゃいけなくなったんです。ちっちゃな7歳くらいの貴族の子女から教えていくのに、ピアのという楽器ができて。フランス革命のあとに大量生産でもっと簡単に弾ける楽器というのでピアノが考え出されたんですよね。ピアノが88鍵というのも、大量生産のための場で作るためのレールの幅なんです。

髙橋:大量生産されるための規格なんですね?

明楽:そうです。チェンバロは手作りで、4年かかってやっと一台ができる楽器なので、毎日自分で調律して、毎日手入れをしなくてはいけない。これは一般の方には到底できない、そして小さな子供にはできないと。貴族のための楽器として売るための楽器なんですね。そうすると小さい子供たちに教えるためには右手も左手もきちんと書かれた楽譜でなければということで今の形ができあがっていったんですね。

髙橋:古典というイメージがあって、音楽にもきちんと決められた枠があるのかと思っていました。

明楽:ピアノに比べてもっと自由なんですよね。ただ、自由っていうことはその人が音楽をわかってたり、朗読の精神をわかっていたりだとか、その神髄がわかっていないと音には変えられないんですよね。それがたくさんの人にとなるとそれが凡用型になってその人がどう思おうと楽譜通りにそのまま弾けば曲になるように作られていった。それが、音楽がビジネスになったきっかけです。それはベートーベンの時代からなんですね。

髙橋:比較的最近ですね。

明楽:そうなんです。ベートーベンの時代から楽譜が出版されて、コンサートがチケット制になって、そしてそのチケットを売るマネジメント会社ができて、全て音楽がビジネスになっていったんですよね。フランス革命の後にね。それとともに楽器もピアノに変わっていったという感じなんです。


ーチェンバロと北前船ー

髙橋:話は変わってしまいますが、チェンバロと北前船とのつながりとはどのようなものでしょうか

明楽:はい。私は北前船講演の時には必ずチェンバロを携えて各地に行くんですけれども、それは北前船が日本海で生きていた時代とその海の向こう側のヨーロッパでチェンバロが最も愛されていた時代とが全く同じ時代なんですよね。なので、ピアノではだめなんです。時代が新しすぎて。北前船の活躍した江戸時代というのがまさに海の向こうではチェンバロの時代だったんです。

髙橋:バロックですね。

明楽:そう、バロックです。バッハやヘンデルたちがドイツで活躍して、フランスではベルサイユ宮殿、ルイ14世がいてっていうその時代が江戸時代なんですね。で、ちょうどその時代に犬公方とよばれた綱吉から吉宗将軍までの最盛期なんですけれども、基本的には1600年からがバロック時代で、ちょうどぴったりですよね。それでその海を挟んで、西と東の人のありようといいますか、文化のありようを一緒に楽しみましょうよ、北前船の事だけを知るんじゃなくて、あるいはバロックのことばかり知るんじゃなくて人間がどんな風に生きてきたかというものを、1600年から1700年のところで切り取って、一緒に楽しみませんか?というので(寄港地)を回っているんです。


ー北前船は明楽さんのルーツー

髙橋:チェンバロをやっている間、日本の江戸時代にはどのような事をしていたのかという所から北前船につながったんですか。

明楽:そうですね。私自身はもともと京都の生まれなんですが、先祖が近江商人で天保元年に生まれたんですよね。天保元年というのがあと40年くらいで明治維新という時期で、まさにその日本海で北前船が跋扈してた時代で、それでうちの5代前の先祖が北前船に憧れて、天秤棒で行商をしていたんですね。わが家にとって家宝というというほどではありませんが、桐の箱に入った天秤棒がありまして、父からもうちの「おじいちゃんががんばったんだよ」ということで聞いていました。そうやって行商した結果、千石船を得たと、中古の300石から中古の500石を、ついには千石船を得るに至って、それが北前船として大阪から北海道まにというような船乗りになったんですね。北前船というのは元々、北極星を見ながら北を前にして進む船というので北前船、そして全国に寄港地が200か所あるんですね。で、200か所の名産などを買いながら売りながら、そういう「買い積み商法」という商いの方法なんですが、桑の木を植えていた丹後なんかは反物で恵まれたし、漆の木を植えていた輪島なんかは輪島の漆器になって、いろんな

髙橋:なんとかの国というように分かれていた日本の中で、交流が進んだのは北前船のおかげということですか。

明楽:いろんな経済とともに文化の交流というのもすごく盛んになって、そして古伊万ですよね、佐賀県の有田の。だから北前船の航路から九州というのは外れてるように思われてたんですけども、実は有田焼っていうのもたくさん下関で積まれてて、それで各地の寄港地の行商の家には必ず古伊万里が置かれているんですよね。古伊万里っていうのが日本の全ての焼き物の始まりなので、清水焼だとかよりも早いんですね。柿右衛門の見目麗しき器だとか。そういったものもいっぱい運んだんですね。ちょうど今回さきおりのお話も頂いて、イベントをしたときに来てくださって、バッグも見させていただいて、ポーチまで本当に素敵なものをね。私もちょうど舞鶴だとか今日丹後とか、天橋立のところですね、あそこはまさに北前船の寄港地なんですけれどもね。そこで、たくさんお話させていただくんですけども、展示されるものの中に必ずさき織りがあるんですね。さき織りの着物ですよね。昔の人が本当に来ていたものが展示されていて、本当に冬用の強くて暖かいさき織りが展示されているところで北前船の講演をさせていただいたので、こんなに綺麗なさき織りで、こんなにファッショナブルでまさに現代版の


ー北前船と北海道ー

髙橋:本当にありがとうございます。ところで、アイヌの方たち以外の北海道の分科は開拓移行比較的新しいものですが、江戸時代にさかのぼっても松前藩には北前船が寄っていたということなんですか

明楽:そうです。北海道でも100か所くらいもってます。だから江差や松前はもちろんそうなんですけども、留萌や利尻まで北は行ってますし、東は釧路だとか根室だとかそのまま北方4島ですか、あっちまで行ってるので。

髙橋:交易をしている人っていうのは歴史から考えて、いわゆる和人の人たちではなかったということですかね。

明楽:ええ、和人が取り仕切ったような浜で結局働き手のような形でアイヌの人も入って。もちろんそこでアイヌの労働力も非常に大事だったので、和人の人とうまくやったりアイヌの人に恨まれるようなことがあったりだとかいろんなことが記録に残っていますけれども、彼らの力なしにはとても大きくはなれなかった。だからそういう交流があったのかなとは思いますね。


ー岩内と明楽さんとの不思議な縁ー

髙橋:調べていても、丹後さき織りとか、南部さき織りとか、北前船が通ったところにそれぞれのさき織りのものが残っているみたいですよね。

明楽:そうだと思います。北前船というのは丹後ちりめんという綺麗な着物も運んだんですけれど、古手(ふるで)といって古着のような着物もたくさん運んでいて、その中でももちろんそのまま着られるものは着て、着られないものは再生して次の物を作ったような。北前船の寄港地で岩内がそうなんですけれども、私が20年前に北海道に引っ越してきたときに、もともと私は関西の人間なので、全然北海道の事が分からなくて、それで住み始めてまだ1か月くらいだったと思うんですよね。その時やっぱり地名が読めないと。それならやっぱり地元の新聞を取らないとだめだと思って、地元の新聞を取ったんです。そしたらすぐに大きな記事が出て、「今度自分たちの尊敬する画家の美術館を作るんだ」というそんな記事だったんです。その「文化っていうのは文化勲章もらったからとか、お上からそういう人だと言われて尊敬するんじゃなくて、自分たちの村だとか、本当に自分たちの尊敬する人を衛、大事にするのが文化だと思う」という風に書かれていて、それはもうその通りだと思ってそれを書いていた方にすぐに電話したんです。そしたら実は岩内で木田金次郎という画家がいて、その人の美術館をみんなで作ろうと思っている。なので「一度来ませんか?」と言われて「行きます」なんて言ったはいいんだけど、まだ札幌もまともに運転できない状態で、それなのに岩内どこでしょう??みたいなところから始まって。2時間くらいって言われたのに5時間もかかって着きました。そしたら向こうでは浜のおじさんおばさん、浜のお母さん、そんな人たちが美術館の準備委員会のメンバーだったんです。ずいぶん歓待してくださって、やぁこんなことだったら私もなにかお手伝いしますよって言って。それからそこでチェンバロコンサートを毎年し始めてもう20周年になります。コンサートが終わってからみなさんとお話しして、そうすると彼らが昔は昔は道端にニシンが転がっててねっていう話になってね。それでもう昔はおやつなんてなかったから火鉢にニシンを入れて、ちょうどいい頃に取り出して身をほぐして食べたら、数の子の部分だけ食べる。ほかは全部捨ててボリボリって食べる、それがおやつだったんだと。そんな話を毎年毎年聞かされてると、うちの巻物にも「岩内」っていう土地が書いてあったような気がするなと思って、お正月に巻物開いてみたらやっぱり岩内沖でうちの船が遭難しそうになったと書いてあったんです。

髙橋:北海道には伝統工芸がないっていう、もちろんアイヌの方の伝統はあるんですけど、いわゆる南部鉄器のような「これ」といった伝統工芸がない中でクラフト、工芸としてやっていくというのはどういう事なんだろうと考えています。その中でさき織りと、北国の伝統手法という所でであって、物を大切にするっていうスピリットが見直されている時代が今来ていると思うんです。

明楽:木田金次郎のところも、夏はいつもアニバーサリーコンサートなんですけれども、冬は12月15日が命日なんですけど「どんざ」というのを作っているんですね。それは「どんざ」っていうのがまさにそういうもので、さき織りのようなもので作ったり、古着で作った足のあたりまであるような、よさこいの人たちが着てるものの綿入りみたいな。それを木田金次郎はよく着て絵を描いていたと。それもあって、木田金次郎さんが着てた藍でできた「どんざ」を飾って、みんなで集まるんです。そんなこともあっていわゆる布の文化っていうんですか、それは私も20年ぐらい前からずっと


ー先祖を大切にする文化ー

髙橋:日本が誇れるものだと私も思っていて、あるものを最後まで使い切るということももちろん、ただのボロのまま終わらせるということではなくて、刺し子とかもそうなんですけれど加工してより美しく再生していくものですよね。

明楽:本当そうなんです。西洋でもパッチワークってありますけど、あれは本当に古い古い100年前のおばあちゃんの産着だったとか、そういうものをつぶして作ったりだとか、そういうのを見るとそういう精神って、人間っていいなって思うんです。そうやってすごく先祖のものを大事にしようっていう気持ちが国を問わずあるんだなって思うと北海道に来る前はアメリカに住んでたんですけれど、やっぱり懐かしいパッチワークのようなものを見ると日本にもアメリカにもあるんだなってすごく思います。

髙橋:財産っていうか、今、物があふれているじゃないですか。ちょっとお金を出せば何でも買える。そんな中あえて古いものを使って作り直すということの意味を考えているんですよね。もしかしたら、ピアノとチェンバロの話ではないですが、時代に逆行するものかもしれませんが。


ー江戸幕府の「三草四木政策」ー

明楽:北海道のニシンっていうのが有難いくらい重宝がられて、あんなにもよく売れたのは江戸の幕府が日本中にいろんな植物を植えろっていうおふれを出したんですね。その中の三草四木政策っていうのがあって、3種類の草と4種類の木を植えなさいというのがあって、3種類の草というのが紅花であり藍であり麻であったんですね。それから4種類の木というのが桑の木、まさに丹後ちりめんのもとですよね。それからお茶の木、それから楮(こうぞ)、これがわかさの和紙となったんです。それから最終的に明治維新の時に初めてお札になったのはまさに北海道にしんかすからでできた和紙だったんですよね。4つ目は漆の木ですよね。そうやって植物がたくさん植えられてそれが肥料をものすごく必要として、そこで肥料としてニシンカスを大量に投入して、もう北海道はみんなから引く手あまたでね。そういった北海道の産物がものすごい珍重されて。

髙橋:そうなんですか。北海道で盛んに。

明楽:北海道もそうですし、各地で北前船が肥料を配りまわってたんです。

髙橋:染色も特徴があるって言いますよね。植物性の物ばかりを使っていて。

明楽:本当にそうなんです。たとえば桑をたくさん植えたところ、丹後。あそこでもまたそれを染めたのは染色技術がそういったものを。結局昔の日本って自給自足だったのでね。自分たちが食べる野菜だけあればいいと、自分たちが食べる分だけ漁師さんが取ってきて。でもそうじゃなくて「商品作物を送りなさい」っていうのが江戸幕府の大きな命題だったので、その商品作物を作るための植物が三草四木だったの。それに肥料を投入するが北前船のニシンカスだったんです。そういったものでもすごく大きく経済が豊かになって。だから各地は北海道のある意味宝物を得て、自分たちが新たな宝物を生み出していくような、そういう経緯があるんですね。そしてその中でこういう染色がすごく盛んになって。

髙橋:染織りとか藍染めとかいっぱいあると思うんですけど。

明楽:そう。だからタオルなんかでもね今治のタオルっていうのは元々広島や大阪あたりで綿花栽培がすごく盛んで。今でも「タオルの今治」ですし。

髙橋:今でもジャパンブランドみたいなところがありますよね。

明楽:セブンイレブンでもタオルは今治のタオルですから、いいものを高く売ってますし。「ああ、やっぱりそういうのが今も息づいているんだな」って思います。あとまさにその綿花と藍染め。岡山県なんかは日本で初めてのジーンズブランドですよね。

髙橋:そうですよね。今は倉敷ジーンズなんていったらブランドになってますよ。

明楽:ジーンズがお好きな方もリーバイスもいいけど、日本の岡山のジーンズもいいんだよとやっぱりおっしゃるんですね。

髙橋:そうですね。今うちに指導員で入って下さる方も(テキスタイルの専門の方)やっぱり岡山のジーンズはいいのよって話をよくしてます。

明楽:それは本当にうれしいですよね。北前船の影響が脈々と息づいてる感じなんですよね。日本でまさに初めてのジーンズの産地ですね。この間大阪から九州の古伊万里の美術館にコンサートに行った時も、途中岡山のサービスステーションに寄ったらまさにジーンズの品物ばっかり。これだけ前に出して売り出してもらってるなんて嬉しいなぁと思ってね。

髙橋:前テレビでも見たことあるんですけど、岡山とかあの辺に行くと工場ばっかりで、町を挙げてジーンズを生産してるっていう感じですね。

明楽:ほんとにもう誇るべき文化ですよね。


ーそらるなSaKiORiは現代版北前船?!-

髙橋:最後にいろいろ明楽さんは各地を回っていろいろなさき織りを見ていらっしゃると思うんですけど、うちの出している「そらるなSaKiORi」と伝統的なさき織りと違う点とか、ここは伝統を受け継いでいるけど、どういう点で違いがあると思われますか?

明楽:もうそれは本当にモダンだし、色彩的センスだとかがね、本当に現代版北前船ですので。だから寄港地のさき織りなどが出てきたのは本当に伝統の物を受け継ごうと。藍染めを中心にしたさき織りであったり、そういったものが多かったんですけれども、もうまた全然違った新しい形の出発というのは素晴らしいなと思ってね。やっぱり見てみた時に本当に感動して、あれからずっとポーチを持っています。

髙橋:すごく北海道っぽいのかなと思ってるんです。北海道庁なんかもネオゴシック様式ですごく(海外の)血を入れてるじゃないですか。そういった和洋折衷ではないんですが、これもどちらかというと和風のターゲットではなくて、洋服を着て持っていただくものなので、そこも北海道らしさなのかなと明楽さんの話を聞いて思いました。


ー北海道は可能性のある大地ー

明楽:北海道ってすっごく不思議。可能性のある大地というか、それをもっと活かしきれたらいいのになと、いつもそれをすごく思うんです。「もったいない」っていつも思うの。

髙橋:どういう所がもったいないと思います?

明楽:こんなに素晴らしい歴史があって、それからもちろん150年前の北海道の宝物が本州の各地の経済的基盤を全部作ったんですよ。しかしそれを北海道の人たちは意外と認識してない。

髙橋:私も知りませんでした。今日初めて知りました。

明楽:これはね、北海道のおかげなんです。ましてや京都なんかは昆布のだしを取るなんていうのはそうだし、世界遺産も北海道の宝物を頂いての事だし、それを京都の人もわかってますか?と。嬉しいことにこれだけ皆さん食文化が定着しているけど、これも北海道の宝物をいただいたおかげだし、それを一回見直しましょうよっていう思いがすごくあって、京都の人にもいっぱい言いたい。そして北海道の人にはもっと言いたい。私も京都出身なんですけれど、京都は歴史があるからいいよねっていつも仰るんだけど、北海道の歴史だって素晴らしいし、それをみんなで思い出しましょうよという活動をしたくて、それがその現代版北前船プロジェクトを作った経緯です。

髙橋:私ぐらいの世代の人間はほとんど知らないと思うんですよね。北前船っていったらニシンのことぐらいしかという感じだったので、もっと幅広い世代に日本のいい文化を見直してもらうきっかけになりますね。

明楽:そうそう、それでね2010年6月に創設したんですけど、その時にまず北前船っていう単語をみんなに知ってもらおうと。小樽で立上げたので、いろんなイベントを6月1日に立ち上げて3つ同時に小樽でやったんですね。朝いちばんに北前船とはそもそもっていうようなことを博物館でやって、それから小樽の地ビールのとなりに倉庫があって、そこでファッションショーをやったんです。そのファッションショーは「江戸とバロック」というテーマでヘッドドレスショーをやったんです。なので髪型とドレスのコンテストをしたんですね。それで美容業界、美容師さん達に声をかけて美容師さんと髪の毛の方と衣装さんとモデルをやってくれる可愛い女の子と3人でやり取りしてもらって「江戸とバロック」という面白いテーマをもとに頭を作って欲しいと。たとえば頭を和風にしたら服は洋風というような。

髙橋:もうやらないんですか?それ。ぜひなんか自分も出したいです。

明楽:自分以外の中では、それはちょっとというようなものもずいぶん出てきたんですが実際にやってみると美容師さんたちの若い子の感覚ってすごくって、素晴らしいものになりました。3000人くらいきました。ポンパドールの頭みたいなのに北前船のラインストーンの簪をつけて、本当にすごかったです。

髙橋:和洋折衷の面白さですね。

明楽:あとは北前船ツアーというのを日本海フェリーさんと協力して、大型のツアーを同時に企画したんですね。

髙橋:なんかパリコレとかにでも進出してるみたいですね。江戸とバロックで面白いですね。

明楽:そうなんですよ。そして美容師さんたちには18,19歳の子たちもいたんだけど、「江戸時代ってなんだっけ」っていうところから始まるんですね。だからすごい勉強してくれて、そして「バロックってもっと何??」という感じなのでバロックの事もお話して、そんな講習会もやって。自分たちなりに競うためにもっと勉強して、実は二百三高地(髷)という頭もあったとか、その二百三高地で和風な頭にして、下はすごいドレスであったりとか面白かったですよ。

髙橋:すごいいろいろ教えていただき、楽しいお話をありがとうございました。